30代コミュ障の成長するためのブログ

30歳子持ち犬1匹の渋谷勤務のIT社員による、とりとめのないブログ

逆上がりを1日で体得した話

私は逆上がりが得意である。得意というよりは好きである。

どれぐらいかというと、鉄棒があると「昔はよく鉄棒やってたなぁ」と言って、誰も何も言ってないのに逆上がりをするぐらい好きである。
 
話は変わるが、小学生にとって逆上がりが出来ることは一種のステータスであり、どんなに足が早くても逆上がりが出来ないと、クラスの女子からの目線は厳しい。
 
私も最初からもちろん出来たわけではない。というかまったくできなかった。
どういうようにして、逆上がりが出来たか、そして心境の変化を綴っていきたいと思う。
 

鉄棒との出会い

小学生の時、私は転校を経験している。
低学年と高学年で別の小学校に通っていた。
低学年の時の小学校は、遊具がとても種類があり、高学年じゃないと遊べない遊具もあり、低学年生の憧れの的な遊具もあった。
そしてその小学校では、鉄棒はとてもマイナーで、誰も遊んでいなかった。私もそれにならって、鉄棒には目も触れず遊んでいた。
しかし、鉄棒との出会いは突然訪れる。転校先の小学校では遊具が、鉄棒とジャングルジムしかなく、とりわけ鉄棒は、2種類の大小の鉄棒が存在した。その影響を受けてか小学生の鉄棒への関心も強く、いわゆる「技」を皆習得しており、小学生ながらに戦々恐々としたことを覚えている。
 

鉄棒との接触

環境とは恐ろしいもので、小学生も例外ではない。前述した技は、学年が上がるごとに難易度を増し、5年生にもなると、ほぼ体操選手のような動きが増えてくる。
私は、転校してから1年強鉄棒にうまく触れずに過ごしてきたのだが、不幸にも体育の授業で鉄棒の時間が訪れてしまった。
鉄棒エリートの小学生たちは、与えられた課題を、なんなくこなし、言われてもいない大技に挑戦する中、私は逆上がりすらできなかった。その時今まで鉄棒に触れてこなかった自分を悔いる反面、もう隠さないでいいのだ、という安堵したことも覚えている。
かくしてここから、鉄棒と向き合う時間がスタートする
 

鉄棒への挑戦

その日から鉄棒への挑戦がスタートした。
まずは、親に事実を告げ相談した。
親は驚かず、ありのままを受け入れてくれた。週末になると一緒に小学校で練習に付き合ってくれた。その一方成果は出ず、逆に焦りが出て、苛立ったりもしてしまった。鉄棒と向き合うことは、こんなに難しいことなのかと、思い知らされた。
 

父の提案

私の祖父母家は、車で30分ほどのところにあり、年齢が近いいとこもいることから、何かある度に、訪れていた。鉄棒と向き合ったこの時もなんの気なしに、週末に祖父母家に向かっていた。祖父母家に到着すると、庭に鉄棒があった。半ば諦めていた私は鉄棒を見るだけで少し嫌悪感が出ていた。しかし、次の瞬間私は目を疑った。いとこは3人いるのだが、全員年下で、一番下の子は小学校にあがったばかりなのに、全員逆上がりをしているのだ。その様子を見た父が提案をした。
「今日は逆上がりが出来るまで帰らないよ」強制に近いそれは、幼いながらに決意を感じ、無言で頷いた。
 

父の秘策

その提案と同時に、父は道具を取り出した。1メートルもないぐらいのロープだ。私が気づいたころには、私の体は鉄棒にくくりつけられ見動きが取れなくなっていた。鉄棒と私は30cmほどの距離が保たれており、ほぼ身動きが取れない状態である。
私以外は、祖父母家に入っていき、私の鉄棒特訓in祖父母家が始まった。
まずは闇雲に、逆上がりに挑戦するが、もちろん上手くいかない。むしろロープが身体に食い込みとてつもなく痛い。そこから私は考える。あまりの激痛に失敗することを恐れ、自らの逆上がりに対して分析をすることをしたのだ。ロープで体を傷めないようにするにはどうすればいいか、、これはどうだ、、いやだめだ、、とトライアンドエラーを繰り返した。そのうち、私はひとつの仮説を立てる。その仮説とは、「ロープに触れると逆上がりはできない」というものだ。
要はロープに触れてしまうことは、フォームが悪く、バランスが悪いため、上手く体を扱えていないということ、と考えた。
そこからはそう時間はかからなかった。いかにロープに触れないためにはどう体を空中に運ぶのがいいのか?そのためにはどう足をあげればよいか?そのためには。。とすべてが繋がってきた。
そしてロープをつけてから1時間ほど経った時、すべてのタイミング、バランスが組み合わさり、私はロープ付きでありながらも逆上がりに成功した。この時不思議と達成感よりもやっとこれでスタートラインにたてた、という安心感がどっと訪れたことを鮮明に覚えている。そうなってからは文字通り体は覚えているという形で、ロープがなくても、いとも簡単に逆上がりが出来るようになった。
 

おわりに

かくして私は逆上がりを体得した。それはロープを使い痛みを伴った。私には娘がいるが、同じような相談をされたら私は親としてこのような解決方法を提示できるだろうか。また、あのように自らが考えて答えを導き出し成果へと結びつけるようなことが出来るか?逆上がりを通じて、育児のあり方、こどもとの接し方を改めて痛感した、そんな日であった。