30代コミュ障の成長するためのブログ

30歳子持ち犬1匹の渋谷勤務のIT社員による、とりとめのないブログ

娘がパパに笑いかけてくれた日

私の娘は現在1歳5ヶ月パパとしても1歳5ヶ月が経ちました。

生まれたばかりで泣いていた我が子を腕に抱いてからもうそんな経つのかととても感が深く思う、今日この頃です。

 

こんなことを書くと嫁に怒られるかもしれませんが、

正直最近になってやっと自分がパパとして娘と接することが出来ていると実感することが多々あります。それは娘が私に向かって笑いかけてくれている、と自信をもって言えるようになったと自負しているからです。

そうなった経緯などを世にいるパパ達に向けてご紹介させてください。

 

生まれた日から半年まで

パパとしての意識

職場の同僚や上司の子供がいる人に「子供が生まれるってどんな感じなんですか??」と聞くと「う〜んあんまり実感ないよ、俺産んでないしね。笑」と答える人がほとんどでした。人によっては「立会い出産は絶対するべき!人生観変わるよ!」という人もいたので、夫婦で立会い出産を希望していました。

いざ出産

陣痛が始まると、それはまあ難産でした。回旋異常といって、産道は回転しながら通る

のですが、それを逆回転してしまってなかなか産むことが出来ず、結果帝王切開で娘は生まれました。娘との出会いは人気のない病室で、麻酔で寝ている娘と二人きりでした。

3人での暮らしがスタート

1週間ほどの入院を経て、嫁と娘が家に帰ってきました。勿論嫁は完全にママモード。授乳や抱っこ、寝かしつけとあらゆる人生初めての経験を否応なしにこなしていきます。対する私は最初は気合が入っていたものの、オロオロしてしまったり尻込みしたりと嫁の迷惑をかけることばかりの毎日でした。また仕事もこういうときに限って繁忙期で物理的に接する時間がとても少ない毎日でした。

今思うとこの辺りは、なんちゃってパパだったと思います。

嫁が妊娠して、無事出産すれば自動的にパパになるのです。ただこの時の私はパパというステータスに自己満足していただけだったかもしれません。

 

半年から1歳まで

実家の帰省で違和感に気付く

半年ぐらい経つと、車の移動や新幹線での移動も出来ます。嫁の実家は新幹線だったら2,30分ぐらいのとこにあります。嫁の実家に行くと毎回お祭り騒ぎのように娘の大歓迎ムードで、たくさん洋服やおもちゃを買ってくれます。かくいう私はパパとしての自覚をもちつつ実家でも立ち振る舞います。しかし娘が私の所に一向に来ないのです。それどころか抱っこすると号泣して癇癪を起こしてしまう始末。もちろん嫁の母親には笑顔。

「あれ、、家ではこれで笑ってたはずなのに」と思いつつもそこまで気にすることなく、私だけ数日後家に帰っていました。(嫁と娘は実家に2週間ぐらい滞在)

 

決定的な言葉

娘が半年を過ぎると落ち着いてくるので、友達が来たり、友達の家に娘を連れて遊び

に行ったりするようになります。そこでは基本は嫁が娘を抱っこしたり、あやしたりしながら会が進むのですが、トイレに行ったり等で私に娘をあやす担当が回る時が確実にあります。そこで私はいつも通りこなしていたのですが、その日友達に帰り際に

「◯◯ちゃん、お前だとすっごい泣くなあ、ちゃんと育児参加出来てるのか?笑

と投げかけられました。言った本人としては軽い気持ちだったのかもしれないですが、私としては???という気持ちに。「え、全然育児してるけど!!というかパパとしてやってるし!」みたいな変な気持ちが出たのを覚えています。

 

広がるパパとママの格差

この頃になると、ある程度自我が芽生えはじめ、したい事が出来なかったりやりたくない事をさせられると号泣したりします。またハイハイや少し歩き始めたりと、とても成長感が感じられます。

我が娘もそれにならうように、すくすくと成長していきました。ただハイハイをしても歩いても自然とママの方に行きます。ママは名前を呼んでもニコっと笑ってくれます。

私は抱っこをすると号泣目が合うとそらされる、あげくの果てには存在に気付くだけで号泣なんてこともありました。こうなるとママも育児のバランスがとても悪くなり負荷がとてもすごいことになります。ここでさすがに自信というものがなくなります。ただ自分から何かを変えようとはせず、月日は経っていきました。

 

1歳から現在

相談とその答え

嫁に思い切って嫁の実家から帰る時に聞きました。「なんでママ(嫁の母親)にはあんなに懐いているんだろうねえ」と。対して嫁は「経験者ってのもあるけど、◯◯(娘)のことをよく見てるからね」と言いました。

私は最初言っている意味がわからなかったのですが、要は娘が水を飲みたかったら水を渡す、おもちゃは欲しそうだったらおもちゃを渡すといった感じでした。「いや、それぐらい出来てるよ!」と即座に言いましたが、それが違うと。

私の場合は今水をあげようと思ったら、娘がのどが渇いているか、とか違うことをしていてもやっていました。娘の感情など無視に。対して嫁の母は、娘の表情、挙動を見て、今何をしてほしいか?を判断して対応していると。これには納得した反面、今まで自分がパパとしてやっていた行動とはなんだったのか、と深く考えることになりました。

 

改善の毎日

その日以降、まず娘を良く見る。ということを手始めにやってみました。

すると、泣く前にはこういうことをしている、だったりこの絵本が好きなんだ、と今思うと当たり前のことが私の目前で起こっていました。「この前買ったばかりの本じゃなくてボロボロの最初に買った本が好きなんだ。。」と色々と感じながら、娘との接し方のタイミングを伺いながら日々を改善しながら過ごしていきました。

 

パパになれた日

この改善の結果は驚くほど早く成果を出します。私が娘のやりたい事を尊重し、娘の存在を認める事ができた時に、なんと娘が私のことを認めてくれるようになったのです。まず私の声をよく聞いてくれるようになりました。次に私に自分の持っている物を渡してくれるようになりました。(ティッシュなどのゴミですが)そうなってくると、可愛さが何千倍にもなります。心が通じ合いそうなのですから。そして外出中での出来事、レジで並んでいる私に娘が商品を持って歩いてきました。そのままいつも通り物を渡してくれるのかなーと思った矢先、「パパ」と言いながら足に抱きつかれました。そしてずーっと笑顔で見上げているのです。この時すべての成果が実って、私は娘と心が通じ合ったんだと確信することができました。

 

まとめ

今、私は娘と心から通じ合って、日々笑いあえていると自負しています。

それは一方的なものではなく、人と人の気持ちの通じ合いが出来ているという意味です。娘が1歳になるまでの私は、娘を泣き止ませる笑わせることに必死で、娘の事を1人の人間として接する事ができていなかったのです。私が真剣に娘を理解しようとして、1人の人間として向き合った日から、娘は私に全力の笑顔を与え続けてくれています。その笑顔を見る度に幸せな気持ちが溢れる反面、この笑顔の娘はその一瞬限りで、その瞬間にはもう二度と会えないという悲しみまで出てきます。

パパにようやくなれた私は、これからも娘を1人の人間として愛し続けようと思います。